越後 門出和紙とは

ぷうんと紙が匂ってくる。紙漉きを終える頃春祭りを迎えるのだ。

~ 昭和30年代、小学校の頃の思い出より ~

越後 門出和紙について

門出地区で伝統的に漉き続けられてきた伊沢紙(1尺×1尺4寸)は厚紙で傘紙、凧紙など主に加工用紙に使われてきた。小国紙(9寸×1尺3寸)は薄紙で大福帳や障子紙に、ふわた紙(8寸×1尺1寸)は寸法がやや小さく風の強い海岸よりの障子紙として漉かれていた。我が家では伊沢紙とふわた紙を漉いて私が五代目である。古老より聞いた話ではこの門出で40戸程(大正時代門出は200戸程ある)が冬の副業で漉いていたという。1973年、私が紙を志した時には我が家1戸のみであった。

私は小国町山野田の恩師、木我忠治氏より用具や教えを頂き、その後大判の紙に取り組み、父は工芸紙に取り組んだ。父と私は自然の摂理に従った中でそれを現代にどう生かすか試行錯誤の連続であった。その後私は地域おこし運動に傾注することとなり、我が、ふるさとの名前を生かして、1986年、「越後門出和紙」と命名したのである。

雪国の紙漉き

新潟県高柳町門出、そこは平年積雪が3メートルというたいへん雪多い村である。農業のかたわら、和紙の原料である楮を育て降雪前に刈り取る。大釜で楮を蒸し、家族総出で皮をむき、その後包丁で一本一本表皮を削り取り、白皮にして軒先に吊して干す。
正月を終えると紙漉き場は、すっぽり雪におおわれて、まるで地下牢のようになるが、小さな明り窓をたよりに、もくもくと漉き続けられる。冬の紙は外が見えず気が散ることもなく一心に漉くので整った紙が生まれる。

3月に入って青空の覗く頃になると、家々の回りには、長いなげしに紙板が並べられる。雪中より「かんぐれ(紙を積み重ねた紙床)」を掘り出し、女たちは競って紙を張り付ける。またこの頃は楮の白皮を雪面に並べて雪さらしをする。楮の皮に含まれる灰汁を雪が吸いつくし、雪面のオゾンの働きと冬の日ざしが雪のような白さを創り出す。
4月に入って、残雪の中からブナの若葉が芽吹く頃に紙買いがやってきて、両手で紙をかざしては、めくり返す。